雨の日、部屋にて。
ざぁざぁと雨が降っている。
窓の向こうの景色は真っ暗で、地面に当たった水滴の音だけが耳を満たす。
部屋の中には愛用のパソコン。服の入ってる箪笥。漫画が多めの本棚。それとソファー兼寝るためのベッド。更には辺りに散乱している良く分からん雑貨。
「でも、偶にはこういう風に外の音だけが聞こえる空間も良いもんだなー」
普段ならヘッドホンを付けて、直ぐにパソコンの中の音楽を聴く。
そして一日中パソコンに向かっている。もちろん飯とか風呂とかそういう時間を除いてだが。
どうしていつもと違う事をしているのか。
まぁこういうのも良いかなと思っただけで他意は無い。
明日にはまたいつもと同じ日々の繰り返しだろう。
「だから俺はしばしの休息も兼ねてゆっくりしてみるのでした」
まる。
時間だけがゆっくりと過ぎていく。
眼を閉じて、何かを考える事も無く、耳には外の雨音だけ。
だから俺は気づかなかった。
「ねーあなた何をしてるの?」
突然の声に意識が反応するのが遅れた。
大体時間にして五秒から十秒ほど。
眼をゆっくりとあけると、目の前には見知らぬ女性がいた。
金髪で赤い縁の眼鏡をかけていて、背丈は大体俺よりちょっと下ぐらい二十台前半の顔つき。服装は古風な着物だった。
髪の毛は肩位で後ろで一つに結っていた。
「いやーじろじろ見られて意外と恥かしかったりするんだけど?」
少し照れながら言う彼女。正直かわいい。
「あー申し訳ない。目の前に突然かわいい女性がいらっしゃったので、ついついじっくり見てしまいました」
「かわいいなんてもう。お世辞が美味いんだから」
弓のように細められた目が彼女のかわいさを一層際立たせていた。
「それで……一体俺に何の用で?」
「もう私を呼び出したのはあなたでしょ?」
質問を質問で返されてしまった。
「俺が呼んだ? ……呼んだような記憶は無いのですが」
「いいえ呼びました。あなたこう思ったでしょう?」
彼女は少し間を空けて言った。
「誰かと話したいな。と」
沈黙が続いた。状況を頭の中で整理して俺は答えた。
「いや思ってませんよ?」
「嘘!?」
わたわたと彼女が慌てだす。
「どっちかっていうと俺、何にも考えてなかったですし」
「……えー」
いや、えーとか言われても。かわいいから許すけど。
「どうやら間違ってしまったみたい……です」
「はぁ」
それきり何も言わずじっと見つめてくる彼女。
…………。
どんどん目が潤んできている。
………………。
やばい今にも泣きそうだ。
「えーっとそうそう誰かと話したいなと思ってましたよ俺!!」
「で、ですよねー!」
泣かれても困るので、必死に話を合わせる事にした。
「それで……あなたは何なんですか?」
「あっ、私はですね語り部と言われる都市伝説とか妖怪とか神様とかそんな存在です」
突飛した話だったが、そういうのを許容出来る位には俺も正常だった。
「名前とか無いんですか?」
「そういえば……そうですね、私名前無かったです」
「いや大切なものでしょう名前って」
少し困りながら彼女は言った。
「多分、確定したくないんだと思います。この世界がというより全世界が」
「確定したくない? ちょっと意味が良く分からないんですが」
「もう少し分かりやすく言うと、私という存在はあやふやなものでなきゃいけないみたいで、どこにも現れてどこからでも消えるようなそんな存在じゃないと駄目みたいなんです。世界がそうしたいみたいで」
「世界があなたの存在を認めさせたくないと?」
「多分そんな感じです。固定ではなく浮動でなくてはいけないそうです」
固定されてはいけない。風のように通り過ぎるものでなくてはいけない。そんな存在。
「そうしないと何か不都合があるんだろうか? 俺はあなたとの出会いを忘れたいと思わないのに」
「あるんじゃないでしょうか? でもどちらかというと、そんな事を聞いてきたのが初めてだったので今まで気づきませんでした」
「初めて?」
はい。と眉尻を下げて彼女は答えた。
「大抵の人は私を望んで、私を招いて、私に語らせて、私を帰させるだけですから」
「あぁだから」
「あなたみたいな、望んで無い人の場所には来た事無いんですよ」
ようはこんな俺みたいな所に来たことが異例だと。
「じゃあ名前の事が出たんで、あなたの名前俺が付けても良いですか?」
「えっ!?」
彼女が凄くうろたえる。
「良いんでしょうか! いえまずいんじゃないでしょうか!! あーでも……」
「付けて気に入らなかったら忘れて下さい。無かった事にして下さい。それでどうですか?」
我ながら大変不躾な事を言ったものだった。そもそも名前付けさせて下さいってなんだよ。
「……そうですね。いつもなら語る事しかしない私にこんな時が来たのも何かの縁かもしれないですし……お願いします」
受け入れられてしまった。いや受け入れられたならいいか?
「じゃあ……」
少し頭の中で考える。
またゆっくりと時間が過ぎていく。
そして一つの名前が出てきた。
「アイン=ナーティリア」
「アイン=ナーティリア……壱と零?」
彼女は俺の言った名前を反芻しつつ、更に込められた意味も察していた。
「早速そこまで辿り着いてくれるとは思わなかった」
そこで彼女は微笑む。
「だって私語り部ですから。意外と博識なんですよ? うん。……良い名前」
その嬉しそうな彼女の顔を見て俺も満足だった。
「あっ、雨止んじゃいましたね」
いつの間にか外の雨音が無くなっていた事に言われて気づく。
ふと予感めいたものが過ぎったので率直に聞いてみた。
「行くのかい?」
少しだけ寂しそうな顔で彼女は首をゆっくりと下に振った。
「んー結構あっという間だったような、かなり長かったような」
「そうですね。でも、偶には話すだけじゃなくて、話して貰うのも嬉しいです」
「話したというか、名前を付けてあげたというか」
「でも凄く楽しかったですし、最後に良い名前を頂きましたから」
それではと彼女は立ち上がる。もう行くのだろう。
「あっそうだ一つ聞きたかったんだけど」
振り向いて小首をかしげる彼女。
「その服装は……趣味?」
「…………馬鹿」
真っ赤になりながら彼女、アインはゆっくりと半透明になって、消えていった。
アインが消えた自分の自室で俺は立ち上がり窓を開ける。
外は星と月が出ている。まさしく雲一つ無い夜空だった。
ポケットからマルボロを取り出して、咥えて火を点ける。
外気の寒さとタバコとを両方味わいながら、最後に彼女に言った言葉を思い出す。
そして、独り言のように呟いた。
「ありゃー……俺が好きな服装だった」
アインは俺自身が生み出した妄想だったのかもしれない。
それとも初対面の相手に動揺させないように、好みの服装に合わせていたのかもしれない。
そんなことは誰にも分からない。
だけど俺は何となくだけど感じていた。
彼女がこれからアイン=ナーティリアという名前を使い続けてくれるという事を。
俺も彼女もまだ知らぬ誰かに語りかける前に、きちんと自分を紹介する時に。
口からゆっくりと吐き出された煙が夜の闇に浮かんで、溶けて、消えた。
了
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