カレカノ 【3話】


 彼の部屋のベッドに腰掛ける彼女はふと溜息をついた。
 理由はたった一つ。
「最近……スキンシップが足りないと思うわけ」
 堂々とそんな事を口に出してみる。
 しかし、彼は彼女のそんな言葉に反応せずにパソコンを操作していた。
 それもそのはずで、彼の耳にはヘッドホンが装着されていて彼女の言葉は一切聞こえなかった。
「その辺あんたどうなのよ?」
 だからこそ彼女も遠慮無しに声を出して言う事が出来た。
「あのさーヘッドホンとか……彼女がいるのにそれってどうなのよ?」
 確かに彼女が来ているのにヘッドホンをして、相手をしないという彼の行動は酷いものがあった。だが、彼がヘッドホンをつけるというのは「今は本当に忙しいから時間ちょうだい」と言う意思表示だというのも彼女は知っているので、彼女が彼に触れて彼女の方を向かせる事は出来ない。
「今忙しいのだって分かるけど……少しぐらい相手してくれたっていいじゃない」
 かなりふて腐っていた彼女は気にせずぼやく。声にでも出さないとやっていられなかった。
 スキンシップが足りないのも当然。何故ならあの時の事故から、彼の家に来るのが初めてだったから。
「……」
 あの時の事故は私が階段から転んだのがいけなかったし、彼をあんな痛い目に会わせてしまった。
 気まずさから彼の家に来るのが躊躇われた。
 それにあんなに優しく髪触ってくれたのも初めてだったの、こいつは気づいてるのかしら? あの後私がどれだけ…………。
 私だけだったのかな? こんなに考えてたの……。
 そのような事を考えている内に二週間も経ってしまった。
 今日は意を決して、久々に彼の部屋に入った時に彼女は色々な欲求に駆られたが、彼に「久しぶり。今ちょっと忙しいから待っててくれ」と言われて早速出鼻を挫かれてしまった。
「……でも案外この方が良かったのかもね」
 あの時の欲求は自分らしくない。その場の感情だけで、勢いだけではいけない。冷静に……冷静に。
 彼女が徐々に冷静さを取り戻す。
 するとタイミングを見計らったかのように彼が彼女の方を向いた。
「よし終わった。いやー本当に久しぶりだな。元気だったか?」


「ふぇ! あーうん元気だったわよ?」
 あまりにも唐突だったので、変な声を出してしまった彼女。そんな彼女を特に気にせずに彼は言った。
「それなら良かったんだが、あーその、なんだ」
 彼が二の句を告げず黙ってしまった。彼は時折考え込むような仕草を取ったり、口を開閉していた。
「えーっと、どうしたのあんた?」
「いや……」
「さっきからそこで止まってるんだけど?」
「……俺さ。何かしたかな? 毎日毎日来てたお前がいきなり来なくなって吃驚してたんだよ。しかも来なくなったのがあの日だったから余計に考えちゃって」
「あんたは何もしてないって」
 彼の言葉に彼女は簡潔に返答を返した。
 自分ばかりが考え込んでいたと思っていた。しかし、事実は違った。
 こいつもこいつなりに私の事を考えてたのね。
 そう思うとかわいいとこやっぱあるわねとか考えてしまう。
「じゃあどうして?」
「え?」
「いやだからどうして?」
 返しで本題に切り込まれた彼女は動揺したが、ここは突破しなくてはならないと思った。
 あんたの事考えて、気まずくて、挙句髪撫でられて嬉しくて、それ以上求めそうで来れなかったとか絶対に言いたくないっ。
「……なんでもないわよ。ただ単に他に用事があっただけだから」
「俺を優先出来ないぐらいの用事なのか……とか言ってみてもいいか?」
「そりゃそういう用事だってあるわよ」
「まぁそりゃそうか……悪い自惚れてた」
 心なしか意気消沈する彼。というよりもかなりだった。
 こいつ……やるわね。少しぐらいフォロー入れないとまずいかも知れない。
「いや確かに連絡一つも入れなかったのは悪いと思うけど、基本はあんた優先にしてるところもあるんだから」
「本当かよ?」
「そりゃあんたの彼女なわけだし」
 あの日より前は全部あんた優先よっ! とか内心で思っていると彼は言った。
「それは……嬉しいな」
 ふと彼は微笑んだ。
 えー。今日こいつなんか色々こっちのツボ刺激してくるんだけどっ! 久しぶりだから? そうよねきっとそうよね!!
 さっきまで冷静に抑えていた感情が少しずつ彼女に湧いてくる。
 これはこれで……こっちが主導でいじるチャンス!


 彼は微笑みつつも思っていた。
 俺の彼女だってことは、当然分かってるんだけど滅多にカップル的な事しなかったから、実はそんなに好きじゃないのかと思ってたんだよな俺。
 彼女が聞いたら憤慨しそうな事を彼は考えたが、それも無理からぬ事だった。彼が彼女にカップルがするような事をしたのは、かなり前に彼女がアルコール入ってるふりをして抱きついてきたり、キス未遂だった時で止まっていたからだ。
 そうだよなぁ。後はあの日に髪撫でたぐらいだもんなぁ。そう考えると……カップル成分が実に足りない。
 今日ぐらいはちょっとこっちからアピールしてみるか? そうだ考えて見れば前回だってこっちからだったし今日もきっといけるはずだ。
 そう思った彼は席を立ち、彼女が座っているベッドの方へゆっくりと向かった。


 唐突に自分に向かってきた彼を見て彼女は思った。
 あれ声をかけてこないでこっちに来た? 確かに色々期待できる行動だけど……私がいじりたい!
 自分がいじる為には、どうするべきか彼女は考えた。今のこの展開から彼をいじる方法を彼が辿り着く前に考えなくてはならない。そして彼女は至った。
 これならいけるっ!
 考え付いた彼女は直ぐに行動に移した。
 彼女は彼が座れる場所を確保する為に、横に移動せずベッドの中ごろに体をずらした。


 「……」
 近づくため立ち上がった彼は、彼女の行動に頭の中でクエスチョンマークが湧いた。
 あれーなんで横にずれないの? それはさ……俺に空けた場所に座れって事?
 彼の目線の先には尻をベッドに落として、足を両側に折りたたんだ彼女の姿。短めのスカートだったら見えていただろう。
 行き過ぎた考えを自省して、横に座ろうとしたら彼女に睨まれた。
 という事は……! そこに来いと言うのかお前は……!!
 覚悟を決めるために生唾を飲み込んだ彼は、意を決してその領域に踏み込んだ。


 否。意を決して彼女の所に向かった彼は彼女の所に辿り着く事が出来なかった。
 彼と彼女の視界を急に暗闇が襲ったのだ。
 彼は暗くなった視界でうまく足を運べずに、盛大に顔ごと向かっていた先に倒れる。
「あっ……うぶっ!」
 顔と両手に柔らかい感触を彼は感じた。
「ひゃあ!」
 彼女の奇声が聞こえる。
 何か言葉を発しようと彼はするが、即座に上から加重が入り言葉を飲み込む事しか出来なかった。そして彼女の声を耳で捉える。
「停電みたいね……」
「ふぇいへん?」
「んっ……そう停電」
「ひょれふぁふぁふぁっひゃへろ、いひはへひふぁひ」
「んっ、はっ……あんた何言ってるかっ……分からないんだけど?」
「いひふぁへひふぁひ」
「ちょっ……あーえっ! と息ができない?」
 意思表示の為に彼が首を動かすと、顔にかかる感触が動いた気がした。
「分かったから! ちょっと動かないで……ぁ」
 唐突に彼女が黙る。気にはなったが、動くなと言われた以上動きづらい。しかしこれ以上は生命に関わる。
 すまん……急いでくれ。


 彼女は今の現状を冷静に考えていた。いくつかのハプニングはあったが……結果として、
 これは……。おもしろいっ。
 今の展開は彼女が仕組んだ以上の展開が目の前で発生していた。
 簡潔に状況を説明すれば、彼が彼女の股の間に顔を埋めているというものだった。
 彼の両手は彼女を挟んでベッドの上に投げ出されている。その彼の両手を彼女は、ゆっくりと自分のある部分へ持ち上げた。


 彼は自分の腕が持ち上げられるのを感じた。
 ……なんで?
 疑問が彼を襲ったが、それよりも何よりも呼吸がしたい欲求に勝てず些細な事は無視した。
 次の瞬間、自分の手の平に柔らかい感触を感じるまでは。
 その柔らかさは言葉では形容し難く、ともかく柔らかい物が両の手の平一杯にあった。暗闇で目が見えず、呼吸もままならなかったが、一人の男として妄想は加速していった。
 これはなんだ? えーっともしかしなくても……アレなのか!? 力を入れてみたらどうなるのだろうか……いや駄目だそれはまずい気がする! 俺の中の何かが確実に壊れる気がする……あぁでも男として……男としてっ!!
 理性を総動員して、彼は両の手の平の動きを制御した。
 男ならば、このような危険な場面で取るべき行動を彼は知っていた。そして、それを実行した。
 まさに紳士と言えた。


 遠慮なく両の手の平に力を入れた。ようは揉んだ。


 少し強張った感触を両の手の平に感じながら彼は確かに聞いた。
「んっ……」
 彼女の甘い声を。
 あぁ……今意識が切れても一片の悔い無いわぁ。
 彼の顔は、暗闇で他の人には分からないが頬の緩みを彼は感じていた。同時に頭の上から押さえつけられる感覚が戻ってくる。
 頭の重みを気にせず、後の事はどうでも良いしどうにかなるという覚悟で、彼は両の手の平一杯に感触を楽しみ続けた。その間に耳に入ってくる彼女の声も彼の行動を加速させるには十分だった。
「んぁ……ちょっ……っ!」
 揉む事を楽しみ続ける彼だったが、ふいに両腕から徐々に力が抜けていくのを感じた。
 あれ? 力が出なくなってきた……。というか……意識、が、遠く――。
 先ほどから揉むことに集中していたが、彼は気づいた――頭の上からの圧力で自分が呼吸をしていない事に。
 ベッドにうつ伏せになっている彼の姿勢に、上から彼女の手が押しているこの状況をどうにか打破しないと、これ以上は揉めな……ではなく意識が持たないと察した彼は行動に移した。
 首を右に少しだけ向けた。
 そうする事によって彼は鼻先にベッドよりも少々硬い感触を得ながらも、何とか空気を確保する事に成功した。
 今は首の痛みよりも、この俺の両手が動き続けるための動力を得るのが最も優先されるべきだっ!
 もはや本能のなせる技だった。
 そして、今一度揉もうとした時。
 淡い光が彼の目を覆った。


 電気が復旧した事で、暗闇だった部屋が光に満たされた。
 それに気づいた彼も両腕の力を抜いて、両腕をベッドに降ろした。
「はぁ……はぁ……」
 彼女の吐息だけが聞こえる。徐々に冷静になってきた彼の頭を更に冷やすには十分な声だった。
 俺は……何て事をしてしまったんだ!!
 彼の心が後悔で満たされようとすると、
 「ちょっと……顔上げなさいよ」
 張り詰めた彼女の声が彼の耳に届いた。しかし見せる顔が無いと思い動かないでいると、彼女の手が彼の顔を掴み強制的に上に引っ張り上げた。目と目が合う。
「あんた今自分が何したか分かってる?」
「……すまない」
「女の子の大切な部分触っておいて、謝るの?」
「えっと……」
 彼が黙っていると彼女は手を離し、ベッドの上から停電前に彼が座っていた所に移動した。
「本当に痛かったんだから」
「……」
「初めてだったのに……どうしてくれるのよっ……!」
「……ぁ」
 彼女の声が徐々に掠れていくのを感じた彼は、彼女の方を振り向こうとして躊躇う。
 今の俺が何を言えるっていうんだ? 何が後の事なんてどうでも良いだ! 良い分けないだろっ!!
 頭の中が混乱していたが、ともかく彼女を見なくては始まらないと考えて振り向こうとすると、
「二の腕のお肉触られるの」
 彼女の極上の笑みがそこにあった。


 彼の困惑顔を見て、彼女は言葉を続けた。
「だから二・の・腕っ。……一体何と勘違いしたのかしら?」
「にのうで? ニノウデ? 二の腕……だと……?」
「そう二の腕。少し前に漫画で読んだんだけど、その人の二の腕の柔らかさとその人の胸の柔らかさって同じらしいわよ。」
「って二の腕だって! 俺はてっきり……いやまて同じ柔らかさだとっ!!」
 やっと事態を悟った彼の顔に朱がさした。この鈍さが彼女にとって一番遊べる事を彼は気づいていない。
「まぁ触らせる気は一切無いけど……どうだった?」
「ど、ど、どうって?」
 あらあら口で言わないと分からないのねぇ。これだからこいつ弄るの止められないのよ。
「だから――私の柔らかさ」
「あっ……言えるわけないだろっ。それに何だよあの……声は」
「声? あーあれは演技よ。それぐらいじゃ……ねぇ?」
 彼女は右手を上げて手の平を上に向ける動作をして、やれやれと表現した。
「お前っ!」
「んーーじゃあそれは良いけどさ、むしろさっきの姿勢の方が面白かったわよ?」
「姿勢?」
 彼女はスカートを抑えて尻を床に落として、足を両側に折りたたんで座った。そして股の部分を指差して彼に言った。
「ここにあんたの頭があって、息がここに……」
「うわあああああああ!!!!」
 彼女が指さした場所を見て恥かしさが限界を超えたのか、彼は叫びだしベッドに転がり始めた。
 その彼の動作を彼女が満面の笑みで見ていた。


「それじゃ私帰るから。帰った後、変な事しちゃ駄目だからねー」
「するかっ!!」
 意地の悪い笑顔を残して彼女は帰宅した。
「ふぅ。ったくああいう事を良く考えられるなぁ」
 さすがに疲れたのでベッドに横になると、急にあの時の感触が蘇ってくる。
 えーっと確かこんな感じで……。
 ついつい虚空を手の平で掴む動きをしていた。それに加えて自身の鼻先も触ってみる。
 ここにあいつの……駄目だ、駄目だ、駄目だっ。俺は何を考えてるんだっ!
 冷静になる為に彼は部屋の明かりを見つめ続けた。そしてあんな行動をした理由を考える。
 確かに本能と言えばそこまでだ……でも待てよ……その前に……あ。
「そういや、あいつがあんな事言ってたからか」
 停電よりもずっと前。
 彼女の声を聞いていた。
 ヘッドホンを装着していたが、音は流していなかったので彼女の声はしっかりと彼に伝わっていたのだった。
 でも……。
 それを言い訳にするのはおかしいと思った。要因ではあっても、結局は自分自身が触りたいと思って行動したのだから。
 彼はじっと自分の両手を眺めて思った。
「当分……忘れられないなこりゃ」


 了


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