マッチ

 ブロロロロッツ……。
 キャアキャア……。
 リンリンリンリン……。
 夜の街の、喧騒を聞きながら歩く。
 周りを見渡すと、煌びやかなイルミネーション、ショーケースを見てはしゃぐ恋人たち。
 今日は、クリスマスイヴ。
 キリストの誕生日、一日前だとか。
 そんなお祭りムードの街をひたすら歩く。
 アスファルトの硬さや、頬を裂く冷たい空気の方が、今の俺にはお似合いだった。
 少し歩いた先の角を曲がると、高層ビル群に囲まれた公園がある。
 まるで、ここだけ時代から取り残されたように……。
 そうは言ってもこの公園自体は、昼の時間になるとOL達の食事場所になったり、夜になれば恋人たちの場所にもなる。
 しかし、今日に限っては誰もいなかった。
 それこそ、人から動物まで。
「やっぱりクリスマスイヴだもんなぁ……」
 独り言が口から出た。
 近くにあったベンチに座る。
 硬い……。
 公園のベンチなんて子供の頃か……いや高校生位にもデートで座ったか。
 懐かしい感覚に包まれながら、ふいに空を見上げる。
 高層ビルの明かりに照らされた空。
 幸いにも曇っておらず良い天気だ。
「なんで、こんなことになったんだ?」
 誰もいないのを良い事に、独り言を続ける。

                 † † † † †

 トントン。
 不意に左肩を叩かれた。
 書類を整理していた手を止めて、後ろを振り向く。
 そこにいたのは満面の笑みを浮かべた上司。
「ちょっといいかな?」
「はぁ」
 誘われるが儘、上司の机へ。
「うーん本当に残念なんだが……」
 上司は真っ直ぐに俺の目を見て。
「君、明日から来なくていいから」
「は?」
 おもわず出た言葉はそれだけ。
「後のことはこちらでやっておくから、必要な物だけ持っていってね」
「はぁ……」

                 † † † † †

 以上、回想終了。
 それから俺は、身の回りの整理をして会社を退社した。
 現在時刻は、夜の20:00過ぎ。
 なんだかんだで、こんな時間になってしまった。
 会社を出た後は、帰る気にもなれなくて、気づけばこんな所に来ていた。
「いや、気づけばじゃなくてさ。結構、意識しっかりしてたけど」
 独り突っ込みすらむなしい。
 この胸を貫く、大きな穴。
 空虚だ……。
 笑。
「笑えねぇ!!」
 …………むなしい。
 憤りは感じなかった。
 なんというか、会社員がいやだった訳でもない。
 ただクビって言うほど何かやったっけ?
 そういえば、上司が最後に渡してくれた封筒があった。
 中身を見れば、手紙が二つほど。
 一つは、お金の事だった。
 自主退社ではなかったので、出た金とか。
 当面は、暮らせそうだった。
 もう一つに書いてあったのは……。
「会社の人員削減が……」
 あの会社、苦しかったのか……。
 それで、普通にしか仕事をしてなかった俺に、白羽の矢が立ったと言う訳か。
 理不尽な気もするが、俺の運の無さに絶望した。
 俺と同じような、仕事しかしてない奴だっていっぱい居たぞ……。
「ついてねぇーーーー!!!」
 思わず叫んでしまう。
 幸いにも、この公園に人はいないのだから……。
「うっさい!!」
 体が、ビクッとなる。
 人が居たのか?
 声がした方を見ると、そこには茂みがあった。
 茂みはガサゴソと揺れ、そこから人が出てきた。
「人が気持ちよく寝てるのに……うるさい」
 二の句をそう告げた人は、身長は160半ば、黒髪で、腰に届きそうなほどの長髪をポニーテールにしていた。服装は、黒色の男のスーツを崩したような格好だった。そして眼鏡をかけていて……その下から覗く眼は、こっちがびびる程鋭い。
 最初は、きれいな人だと思ったのだが、寝起きのせいか機嫌が悪そうで……眼つきとあわせるとヤクザにしか見えない。
 その女の人は、ゆっくりとこちらに向かってくる。
 ……やべぇ殺される?
「ちょっと、横座るわよ?」
 言われるが儘、隣を空ける。
 びびったわけじゃないんだから!
 女の人は、座って頭をかき始める。
 ちょっと、美人のイメージが崩れた。
「えっと、それで?」
「はい?」
 突然話しかけてくる女の人。
「だから……なんで叫んでたの?」
 まだ覚めきっていない、眼でこちらを見てきた。
 その眼は、さっきの鋭さはあったが……威嚇はしていなかった。
 自然と言葉が口から出た。
「実は……」


「ふぅん……」
 俺は、ここに来るまでに起こった事を、話して聞かせた女の人の第一声がそれだった。
「ふぅん……ってあんた」
 そりゃないだろう?
「あぁすまない。私にはあまり縁の無い話しすぎて……」
 右手の人差し指を唇に持っていく女の人。
 考え事をする時のクセなのだろうか?
 結構似合っている。
「まぁこんな日に、そういう目に遭えば独り言を叫びたくもなるか……」
 女の人の結論は、そこに達したらしい。
「正直、明日からどうするか悩んでるところです」
 少しおどけた風に言う。
 女の人は、何も言わず言葉の先を待っているようだ。
「本当に普通にサラリーマンやってきて、特出した所もなく、ただただ働いてただけなんでね」
 しばし沈黙。
「明日から、何して生きていけば良いと思います?」
 俺は女の人に答えを求めた。
 女の人は、不機嫌に眉間に皺を寄せて言った。
「だから、お前は駄目なんだ」
「はぁ……」
「そんなことは、人に聞くことではないし……第一、自分で考えなくてはならない事だ」
 女の人は、そんなことも分からないのか? という眼でこちらを見ている。
 正直、胸が痛かった。
「でも……まぁ」
「でも?」
 口元に少しの微笑をたたえて。
「こんな日なんだから、もう少し明るくしたらどうだ?」
「いや……しかし」
 明るく出来るなら、明るくなりたいものだ。
「そんな風に暗い思考だと、いつまで経っても良い考えは浮かばない」
 んーそれは一理あるなぁ。
 すると女の人は、スーツの内ポケットから小箱を取り出した。
 小箱を開けて、中から棒を取り出す。
「私はキリストの誕生日とか、その前日とかあんま気にも留めていないが……」
 俺の右手に、その棒を渡す。
「まぁ、サンタさんからのプレゼントだ」

                 † † † † †

 俺は、夜の公園に独り取り残されていた。
 相変わらずベンチに座っていたが、一つだけさっきと違うことは……。
「このマッチ棒なんだ?」
 右手の親指と人差し指に挟み、クルクル回してみるが、どう見てもただのマッチ。
 マッチを指で遊びながら、女の人が言っていたことを反芻する。
(私がいなくなったら、そのマッチに火を点けてみろ)
(そうすると、何か起こるんですか?)
(それは、火を点けてからのお楽しみだ)
 そんなやり取りの後、女の人は公園を去っていった。
 女の人の言うとおりに、マッチに火を点けて見ることにした。
 幸いマッチだったので、その辺で擦れば火は点く。
「タバコじゃなくて良かった」
 思わず苦笑する。
 だって、マッチなんて時代錯誤じゃないか?
 タバコを吸わないので、どうだか分からないが。
 ベンチの端を使って、点火。
 チリチリと燃え始めるマッチ。
 それをじっと見つめていると……。
「あれ……」
 頭が、ふらふらする。
 眼の焦点が合わなくなって……。
 そうして、俺の意識は闇に飲まれた。

                 † † † † †

 コンコンコンコン……。
 俺は、木に釘を打っていた。
 残り4、5本打てば完成する。
 休まず、全ての釘を打ち付けると、そこにあったのは、子供が作って歪だけど、ちゃんと座れる椅子だった。
 俺は、満面の笑みでそれを眺めた。
「ボウズ出来たのか?」
 体のゴツイおじさんが、俺に問いかける。
「うん。」
「そっか……」
 おじさんは、大声で叫び始める。
「親方~!! 出来たってよ~~!!!」
 その声を聞きつけた親方が、ここに飛んできた。
 文字通り上から、飛んで来た。
 地面は、親方の着地によって振動する。
 親方は、さっきのおじさんよりも一回りほど大きかった。
「出来たか」
 その一言だけで、俺は満足そうな笑みを浮かべる。
 そして、親方は俺の作った椅子に座った。
 ミシミシッ。
 嫌な音がしたが、幸い普通に座れたみたいだ。
 そして、親方は一言だけ言った。
「よくやったな」
 その一言が何よりも嬉しくて……。
 俺は、親方……親父の胸に飛び込んだ。

                 † † † † †

 そして、俺は元の公園に戻る。
 夢から覚めたのだ。
「あれは……」
 遠い昔の話だ。
 俺が始めて、自分の力だけで物を作って……。
 それを親方……親父が褒めてくれた時の記憶。
 まぁもっともあの後、俺が飛びついたせいで、強度に問題があった椅子は粉々になった訳だが……。
 そういえば、そんなこともあった。
 今となっては良い記憶。
 だけど、俺はそんなことも忘れていた。
 自分が、何をやりたかったのかを……。
 年を重ねるごとに忘れていったんだ……。
 今からでも、まだ間に合うだろうか?
 親父は今年で50も半ばだが、しっかりと現役だ。
 そう、今からなら……。
 ポケットの中の携帯を取り出して、実家に電話する。
「もしもし」
 男の野太い声。
「親父か?」
「あぁ」
 そして、俺は言った。
「親父……俺大工になりたいんだ」
 受話器の向こうは少し静まり、一言だけ返ってきた。
「そうか」
 その一言だけで十分だった。
「あぁ、後さ」
 時計を見る。
「メリークリスマス……親父」
 今度こそ、返事が無いと思ったが。
 ごつい男の声で……。
「……メリークリスマス」
 正直、吹いてしまった。

                 † † † † †

「なぁカイン?」
 夜の街の中、人には見えない獣が、女に声をかけた。
「ん?」
 カインと呼ばれた女は、先程公園で男が会った女だった。
 一方、声をかけた獣は空飛ぶ狗だ。
 尻尾の先に炎を灯していたり、全身から火の粉が飛んでいるが、今は狗と説明しておこう。
 狗は再び口を開く。
「さっきの男に渡したのって……幻惑を見せる奴じゃなかったか?」
 カインは狗の方を見ずに言う。
「まぁ……使い方しだいでね」
 狗は、忍び笑いをしながら……。
「あの、有名な魔女様があんなことをねぇ……こりゃけっさあちちちち!!!」
 狗は、鼻っ柱を燃やされ空中でもだえる。
「黙れ下僕」
 冷徹な瞳が、下僕と呼ばれた狗を射抜く。
「本当に申し訳ございません。私が悪かったです」
 少し、満足したのか微笑しながら。
「それで良いのよ」
 カインが使ったのは、かの有名な童話に出てくる魔術道具「少女のマッチ」。
 効果は、相手に幻惑を見せる。
 どんな幻惑にするかは術者次第という、優れもの。
 そして再び小箱を開けて、中のマッチを擦り狗の前に出す。
 突然の動作だったので、眼を瞑り損ねた狗は……。
「あぁ……肉がー肉がいっぱいー」
 空中を恍惚とした顔で回っていた。
 回る狗を後ろにおいて、カインは歩き出す。
 夜の賑やかな街を。
「さーて次はどこに行こうかな」


 了



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